大正五年 旧 十一月 八日 | ||
大本の神の教えの通りの、誠の修行のでけておる身魂は、安全に神界の御用が勤まるなれど、修行の出来て居らん身魂は辛くなるから、誠の神の道は、修行した丈(だ)けの事より出来は致さんぞよ。 世に落ちて居りた身魂は、何んな辛い修行も致して居るから、サア爰(ここ)という処では、ビクともせずに、安心に御用が勤まるぞよ。 世に出て居りて、今迄結構に暮して来た上流の守護神よ、一時も早く改心なされよ。モウ世が迫りて来たから、横向く間も無いぞよ。 是からは、悪の霊の利かん時節が廻りてきたから、今迄のような強いもの勝ちの世の持ち方は、神が赦(ゆる)さんぞよ。 今迄は、加美(かみ)は何(ど)んな忍耐(しんぼう)も致して、此の世の来るを待ちて居りたぞよ。 日本は慾な人民の多い国、がいこくは学(がく)の世であるから何んな事でも致すぞよ。 日本の人民は、神の国に生まれ乍(なが)ら神をおよそに思(し)て、我よしの強慾斗(ばか)りを考えて、金の事になりたら、一家親類は愚(おろか)か、親兄弟とでも公事(くじ)をいたす、惨(むご)たらしい身魂に化(な)り切りて居るぞよ。是(これ)では神国の人民とは申されんぞよ。 日本は神の初発(しょっぱつ)に修理(こしら)えた国、元の祖国(おやぐに)であるから、世界中を守護する役目であるぞよ。世界の難儀を助けてやらねば、神国の役目が済(す)まんから、日本の国の人民を、一番先に神心(かみごころ)に捻(ね)じ直して、がいこくじんまで一人も残らず神心(かみごころ)に復(かえ)てやらねば、日本の神と人民の役が済まんので、天の大神様へ日々艮(うしとら)の金神が御詫(おわび)をいたして、世の立替えを延ばして貰(みろ)うて、其(そ)の間に一人でも多く日本魂(やまとだましい)に致したさに、神は昼夜(ちゅうや)の気苦労をいたして居るから、日本神国の人民なら、チトは神の心も推量(すいりょう)いたして、身魂を磨いて、世界の御用に立ちて下されよ。 モウ世が迫(せま)りて来て、絶対絶命であるから、何うする暇も無いぞよ。神は急(せ)けるぞよ。 日本の人民が、早く改心をいたして下さらんと、世界中の難渋(なんじゅう)が激しくなりて、何も彼も総損(そうぞこ)ないとなるぞよ。 日本の国に、神が経綸(しぐみ)た世界の誠を、がいこくは何も知らずに、日本の国を我物にいたそうとして、エライ企みは奥が浅うて狭(せま)いから、茲(ここ)まで九分九厘までは、面白い程トントン拍子に来たなれど、天の時節が参りて、悪神の世の年の明きとなりて、悪の輪止(りんど)まりで、向うの国には死に物狂いを致して居るなれど、何国(どこ)からも仲裁に這入(はい)る事も出来ず、見殺しで、神なら助けねばならんなれど、余り我が強過ぎて何(ど)う仕様も無いぞよ。 此(こ)の方(ほう)丑寅(うしとら)の金神も我が強うて、神々の手に合わいで押し籠められて、独神(ひとりがみ)に成りて悔しかりたなれど、是丈(これだ)けの修行(ぎょう)で在ると思うて、此の世にはモウ変化(ばけ)る事の無い所まで、何(ど)んな事にも変化て、茲(ここ)へ成りたので在るから、モウ一種変化(ひといろばけ)たいと思うたなれど、モウ変化(ばけ)る事が無い様に成りたと、明治二十六年に申して置いたが、此(こ)の上は神に祭りて貰(もら)うより仕様は無いと、直(なお)に申してありたぞよ。 |
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